宇都宮地方裁判所大田原支部 昭和54年(ワ)130号 判決 1985年4月17日
原告
田村隼人
右法定代理人親権者父兼原告
田村豪
右同母兼原告
田村恵子
右原告ら訴訟代理人
板垣吉郎
安原幸彦
青柳昤子
被告
医療法人薫会(菅又病院)
右代表者理事
菅又剛三郎
被告
菅又剛三郎
右被告両名訴訟代理人
高田利広
小海正勝
主文
一 被告らは、各自、原告田村隼人に対し金一億一二一六万〇六九五円及び内金一億〇三一六万〇六九五円に対する昭和五二年四月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告田村豪に対し金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五二年四月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告田村恵子に対し金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五二年四月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。
四 この判決中原告らの勝訴部分は、認容額の二分の一を限度として仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告田村隼人に対し金二億〇六〇二万一三六三円及び内金一億八八〇二万一三六三円に対する昭和五二年四月二一日から、原告田村豪に対し金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する同年同月同日から、原告田村恵子に対し金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する同年同月同日から、いずれもその支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
理由
第一当事者について
一(一) 被告病院は、栃木県塩谷郡高根沢町大字花岡二三五一番地において、内科、外科、整形外科、小児科、産婦人科等を診察科目とする、ベッド数約四五を有する病院であること及び被告菅又は被告病院の院長であることは当事者間において争いがない。
(二) <証拠>によれば、昭和五二年四月ころ、被告病院の医師は、常勤が被告菅又一名、非常勤が訴外柴崎、同鈴木、同櫛引各医師の三名であつたことが認められる。
二原告隼人は昭和五二年四月一四日出生したものであり、原告豪はその父、原告恵子はその母であり、原告隼人は、原告豪、同恵子の第一子であり、原告恵子にとつては初産であつたことは、当事者間において争いがない。
第二事実の経過について
一原告恵子が被告病院に入院するまで
1 <証拠>によれば、原告恵子は、東京都八王字市在の京王産婦人科クリニックにおける診察により、出産予定日を昭和五二年四月一五日と診断され、同クリニックにおける昭和五一年一〇月二七日、同年一一月六日の各検診においては特に異常なしとのことであり、昭和五二年一月一〇日ころの検診では医師より塩分及び水分制限の指示を受けたことが認められる。
2 原告恵子が昭和五二年三月三日被告病院においてその初診を受けたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、昭和五二年三月ころ被告病院においては、助産婦兼看護婦の訴外栃村ミヤ(以下、姓のみ称する。)が婦長をしていたほか、准看護婦一二名がいたことが認められ<る。>
3 <証拠>によれば、
(一) 昭和五二年三月ころ被告病院には原告恵子の従姉妹にあたる訴外菊地アサ子が准看護婦として勤務していたこと
(二) 昭和五二年三月三日の原告恵子の初診時の所見は、血圧が一三六〜八〇、蛋白(一)、その他異常所見なしであつたこと
(三) 被告病院での原告恵子の第二回目の検診は同月一六日に行われ、このときの所見は、血圧は一三〇〜八〇、尿蛋白(一)で、その他異常はなかつたが、ただ骨盤位になつており、被告菅又はこれは自然回転すると考えたこと
(四) 原告恵子の第三回検診は同月三〇日行われ、このときの所見では、右(三)のとおり骨盤位であつたものが頭位に治つていたほか、血圧は一二〇〜八〇、尿蛋白(一)でその他も異常はなかつたこと
(五) 同年四月六日、原告恵子は、妊婦検診ではなく、感冒のため被告病院で診察、投薬を受けたが、このとき被告菅又から、同月一五、一六日は被告病院の職員の研修旅行の予定であることの説明があり、一四日に入院して計画分娩(分娩誘導)することにしようとの話がなされたこと(一四日に入院分娩のこととの指示内容については当事者間に争いがない。)
これらの事実が認められ、これらの認定を左右するに足りる証拠はない。
二原告恵子の被告病院入院中の事実について
1 原告恵子が昭和五二年四月一四日朝、被告病院に入院したこと、同日午前九時ころ、陣痛や何らの出産徴候もないまま、風船ブージーを右恵子に挿入し、アトニン0の点滴が併用されたことは当事者間に争いがない。
2 原告隼人は、昭和五二年四月一四日午後四時二五分出生し、その生下時体重は三〇〇〇グラムであつたこと、同児の娩出時、被告菅又により鉗子が使用されたことはいずれも当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、原告恵子が同隼人を出産した際、被告菅又は右恵子に対し、右のとおり鉗子を用いたほか、子宮頸管用指拡張術を用い、出産後、子宮頸管裂傷縫合を施術したことが認められる。
3 <証拠>によれば、原告隼人を娩出させる際の右記の鉗子使用により、鉗子が隼人の右眼及び左後頭部にかかり、その結果、右眼の挙筋断裂により右眼瞼が開かない状態になり、左後頭部には腫脹が認められたこと、左顔面神経マヒを生じていたこと、これらの事実が認められ<る。>
4 被告らは、原告隼人が出生したとき仮死第一度の状態にあつた旨主張し、証人栃村の証言及び被告菅又本人尋問の結果中には右主張に副う各供述部分が存し、<書証中>には「新生児蘇生術」、「蘇生術」の記載がなされている。
然し乍ら、他面、<書証>(母子健康手帳)の中には、「出産時の児の状態」の欄中「特別な所見・処置」の欄において「仮死産」のチェック欄が存するが、ここには何らのチェックもなされていないことが認められ、さらに、原告隼人の被告病院における出生時以降に関するカルテにも、母親原告恵子の被告病院でのカルテにも、原告隼人が仮死産であつたことや、仮死産であつたことに対する措置等については何ら記載がなされていないことが認められる。
なお、<書証>(いずれも独協医科大学病院における原告隼人のカルテ)には「仮死」あるいは「1°仮死」の記載が認められるが、<証拠>によれば、これらの記載は被告病院からの申し送りに基づいてなされたものであることが認められる。
証人武田モトは、被告菅又が右武田に対し原告隼人の出生直後、「元気な男の赤ちやんですよ。」と言つた旨証言し、原告恵子本人尋問の結果中において、同原告は、分娩室に入つたのは午後四時ころで、原告隼人の出産は午後四時二五分(この事実は前記のとおり当事者間に争いがない。)、そのころ「仮死だ」とか、「蘇生器を用意しろ」「酸素を与えろ」などという言葉は一切聞いておらず、同原告が仮死ということを初めて見聞したのは、原告隼人の独協医大病院への転院後、同病院でのカルテを見せられたときであつた旨供述しているところである。
これら本件における各証拠を総合勘案すると、前記の如き書証や証言及び本人尋問の結果をそのまま措信できるかについては疑問が残り(右証人栃村の証言中で、同証人は、「証人は蘇生器を使つたときの隼人の状態を思い出せないのですか。」との質問に対し、「ごく普通のお産だつたように覚えていますから」と答えている。)、結局、これらの証拠をもつてしては、原告隼人が出生時仮死第一度であつたと認めるには十分でなく、その他本件においては、この仮死の事実を認めるに足りる証拠は見出し難いと判断される。
5 <証拠>によれば、原告隼人の出生後、右栃村において同児を沐浴させたことが認められる。
その後、原告隼人は、原告恵子と同室内の大人用ベッドに寝かされたこと及び昭和五二年四月一四日午後六時ころから右隼人は泣き出し、ほとんど休みなく泣きどおしであつたことは当事者間に争いがない。
6 昭和五二年四月一五日午前二時ころ、被告菅又ほか被告病院の看護婦、運転手、調理人等従業員のほとんどが旅行に出発し、留守は看護婦二名であつたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、右留守をした二名の看護婦は、正看護婦の訴外鈴木愛子と准看護婦の訴外大林幸子で、二名とも以前被告病院に勤務した経験を有した人であつたことが認められる。
また、同年四月一四日から一五日にかけての夜間には、被告病院に一名の医師もいなかつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右旅行中の留守の医師については、非常勤の訴外柴崎医師に依頼がなされ、夜間は自宅待機の形で留守番がなされたことが認められ<る。>
7 昭和五二年四月一五日に訴外柴崎医師が原告隼人を診察したこと及び同医師が同児に五パーセントキシリット二〇シーシーを皮下注射したことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、原告隼人は四月一五日朝になつても泣きやまず、看護婦の指示でミルクを飲ませたが、それでもほとんど泣きどおしで、右のとおり同日柴崎医師が原告隼人を診察したときにも泣きどおしであつたこと、柴崎医師は同医師と同じく国立栃木療養所に当時勤務し、小児科医長であつた訴外廣津医師に原告隼人の診察を依頼したことが認められ<る。>
8 昭和五二年四月一五日午後五時三〇分ころ、小児科医たる右廣津医師が原告隼人の診察をしたこと、そのときの所見として、常に啼泣している状態で、左顔面神経マヒがみられたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、四月一五日夕刻の廣津医師による診察の際の所見は右記のほか、顔面には浮腫を認め、胸腹部には特に異常はみられず、バビンスキー反射(±)、把握反射(+)、吸啜反射(−)、モロー反射(±)で、(±)は浅弱、(−)は全くみられない状態をあらわすものであることが認められる。
9 昭和五二年四月一五日午後六時三〇分ころ、原告隼人は大きく泣いた後、呼吸が止まり、顔が紫色になり目を白くしてしまつたこと、原告恵子らが同隼人の胸をゆるめてさすつてやると、ようやく呼吸をするという状態が翌一六日午前八時三〇分までに一一回、一時間おきくらいに繰り返されたこと、原告恵子らからこの状態の説明を受けて措置を求められた留守番の看護婦は、本来ならば出生時に吸い取りが完全に為されるべき羊水が取り残されて体内にあり、気管につまるものであると判断し、気管挿管による羊水の吸い取りの措置を行つたこと、同月一五日から一六日にかけての夜間にも被告病院には医師が一名も居なかつたこと、一六日午前四時三〇分ころ看護婦が酸素吸入を始めたが、同日午前八時三〇分ころこれを外したことは、いずれも当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、右の吸い取りは四回行われたことが認められる。
10 昭和五二年四月一六日に訴外廣津医師が原告隼人を診察したこと及び同日、同医師が右隼人を回診している間には同児にけいれんがみられなかつたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、訴外廣津医師が四月一六日に原告隼人の診察をした時刻は午前一一時三〇分ころであつたこと(この認定に反する証人柴崎の証言部分は右認定に照らしたやすく措信し難い。)、このときの同医師の所見では、左顔面神経マヒ及び顔面浮腫は変化がみられず、やはり啼泣はみられていたが四月一五日のそれより弱い様子であつたこと、廣津医師に対し、けいれんが四月一五日に一〇回、一六日には一時間半毎に一回みられるとの報告がなされたが、前記争いのない事実のとおり同医師の回診している間はけいれんはみられなかつたこと、胸腹部には異常所見は認められず、バビンスキー反射(±)、把握反射(+)、吸啜反射(−)、モロー反射(±)で、新生児反射には一五日と同様異常がみられていたこと、生後二日目であるため、五パーセント糖水を原告隼人に与えるべく努力したが、同児に吸畷反射が全く無いため、ソリタT3を一五〇ml/kg/日で、このときの原告隼人の体重が二八〇〇グラム(この体重については当事者間に争いがない。)であつたことから一日四二〇ミリリットルを与えるべく、補液が開始されたこと、これらの事実が認められ<る。>
11 被告らは、昭和五二年四月一五、一六日に原告隼人にはけいれんがみられた旨主張し、前掲乙第一号証には前記訴外柴崎医師の手による記入として、時々けいれんとの文字が記載され、証人柴崎の証言中においても同証人は、一五日に原告隼人は非常に泣いていてときどきけいれんを起こしていた旨証言し、さらに四月一六日の様子について「けいれんなどはありましたか。」との質問に対し、「自分の目で見た記憶はわかりません。」と答えている。
まず乙第一号証の「泣き通し(出産当日)、時々痙攣、口、左耳から出血、廣津小児科医長を呼ぶ」との記載は、証人柴崎の証言によれば、その下の「4/15 crying always」(同証人の証言及び弁論の全趣旨によれば、この記載は訴外廣津医師の手による記載であることが認められる。)以下の記載がなされる前に柴崎医師がなしたものと証言しているが、乙第一号証中の右柴崎の記載部分はいかにも右の「4/15 crying always」以下の記載がなされてのちの空欄に、その後になつて記入されたものと感じられる体裁となつていることは否めない。
乙第一号証の二枚目の四月一六日の欄には、廣津医師が記入したと認められる文字として「convulsion 1×/1.5h yesterday 10×」との記載がなされているが、これと前掲乙第九号証や甲第一五号証を併せ考慮すると、右カルテヘの記載はけいれんが四月一五日に一〇回、一六日には一時間半毎に一回みられるとの他からの伝聞に基づき記入したもので、廣津医師自身がけいれんを認めたものでないことは前記のとおりである。
原告らは、廣津医師が記載した「convulsion」とは、羊水がつまる状態を原告恵子が廣津医師に伝えた結果を同医師がカルテ上にその様に表現記載したものである旨主張する。
この説明の内容につき、原告恵子はその本人尋問の結果中で、「何かがつまつたようで胸をなぜてあげるとまたもとのような状態にもどると言いました。」と供述している。
乙第一号証ほか各証拠を見ても、四月一五日もしくは四月一六日にけいれんに対する措置として、前記の如く羊水がつまつたとのことで吸い取りを行つたもののほかは、格別の治療や措置がとられたものと認めるに足りる証拠はなく、「convulsion」と記載した廣津医師自身けいれんを自らが認めたものでないことは前記のとおりであるから、これらを総合勘案すると、本件においては、原告らのいう「羊水をつまらせる状態」の外に一五、一六日の両日、原告隼人にけいれんの発作があつたと認めるに足りる証拠は不十分と判断され<る。>
なお、<書証>中には、その四月一五日の欄に「11回 attack あり」との記載が認められるが、証人田中吾朗の証言によれば、これは同人が菅又病院からかもしくは原告隼人の家族からかの伝聞によるものであることが認められるところである。
12 被告菅又が昭和五二年四月一六日夜遅く研修旅行より帰院し、原告隼人の病室に行つて同児を診察したことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、被告菅又は、午後一〇時ころ旅行から帰院したところ、すぐに当直の看護婦から原告隼人の容態につき報告があつたため、間もなくに同児の病室に行つたが、そのときは点滴をやつておりすやすや眠つた状態で、視診のみにとどめ、そのときの原告隼人の状況は、呼吸は普通で、吐くといつたこともなく、呻き声もなかつたことが認められ<る。>
13 昭和五二年四月一七日に原告隼人がほ乳するようになつたこと及び同日被告菅又が原告隼人を診察したことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、四月一七日に被告菅又が原告隼人を診察したときの所見は、呼吸状態に特別異常なく、嘔吐もなく、呷き声もなく、反射反応等にも異常は見当らなかつたこと、眼球運動、脈拍、筋緊張、大泉門の状態についても格別の診断はなされず、けいれんも被告菅又においては認められなかつたことが認められる。
<証拠>によれば、原告隼人には四月一七日午前四時三〇分ころ一旦ソリタT3の点滴がはずされ、午前九時ころまた点滴がなされたがすぐにはずされて、同児は、午前中に湯ざまし一〇シーシー、ミルク一〇シーシーを飲み、午後は一回八〜一〇シーシーを三回ほ乳したことが認められ<る。>
14 昭和五二年四月一八日も一七日と同様で特に変化なく、原告隼人は一回一〇〜一五シーシーのミルクをのむ様な状態であつたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、四月一八日夕方の回診の際被告菅又が原告隼人をみたときの所見では、呼吸は普通で、嘔吐や呷き声も回診時にはなく、異常といえば顔面神経マヒだけであつたこと、この日原告隼人に対し顔面マッサージが行われたこと、ほ乳回数及び量は、午前零時ころ、同三時三〇分ころ、同七時ころ、同一〇時一〇分ころに各一〇シーシーくらい、午後一時三〇分ころに二〇シーシーくらい、同四時三〇分ころに一〇シーシーくらい、同八時ころに一五シーシーくらい、同一一時三〇分ころに一〇シーシーくらいであつたこと、被告菅又としては同児がミルクを飲むようになつたし、よくなつてきたと考えたこと、これらの事実が認められ<る。>
15 昭和五二年四月一九日朝原告隼人に37.2度の発熱があつたこと、同児に黄だんが出現したこと、新生児総ビ値検査をした結果、一六mg/dlであつたことは、いずれも当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、黄だんにつき()、けいれんにつき(−)との記載が原告隼人のカルテになされていることが認められる。
<証拠>によれば、右の新生児総ビ値の検査を行つたのは四月一九日の午前中であつたことが認められる。
<書証>によれば、四月一九日の原告隼人のミルクのほ乳量は、午前三時ころに二〇シーシーくらい、同七時一五分ころに一五シーシーくらい、同九時ころに一〇シーシーくらい、同一一時五〇分ころに一三シーシーくらい、午後二時三〇分ころに五シーシーくらい、同七時ころに一〇シーシーくらい、同一〇時ころに1.5シーシーくらい、同一一時ころに一シーシーくらいであつたことが認められる。
16 被告らは、四月一九日の夜中に原告隼人には三八度の発熱があり、抗生物質セポラン一二五ミリの筋肉注射をした旨主張し、被告本人尋問の結果中には右主張に副う供述部分が存するが、<書証>には、右側の原告隼人の検温表にもそのような体温の表示はなく、また前掲乙第一号証には、その四月二一日の欄には「セポラン二分の一」との記載があるが、同月一九日の欄には、体温についても37.2度との記載がなされ、セポランの記載は全く見当らないところであり、その他右の発熱や注射の事実については、右供述の外はこれに副う証拠が見当らず、結局被告菅又の右供述部分のみでは右事実を認めるに足りないものと判断されるところである。
17 昭和五二年四月二〇日に原告隼人に対し、鼻腔栄養の措置がとられたこと、五パーセントブドウ糖四〇シーシー、タチオンの各注射が行われたこと及び同日同児の新生児総ビ値の検査は被告病院において行われなかつたことは当時者間に争いがない。
<証拠>によれば、四月二〇日午後五時二〇分ころ原告隼人は37.2度に発熱したこと(原告らは、同日朝原告隼人に37.2度の発熱があつた旨主張するが、<書証>では同日朝が35.7度くらい、昼が36.6度、夕刻が右の如く37.2度である旨記録され、前掲甲第一五号証では四月二〇日の欄の最上段に「体温37.2度」、最下段に「体温午後五時二〇分、37.2度」と記載され、同じ体温を二個所に記入している例は四月二一日の欄の午前四時三〇分の体温についても見当たるところであり、この点につき原告恵子本人尋問の結果中で同人は「この日は発熱しましたね。」との質問に対し、「はい。夕方に三七度二分くらいまで出ました。」と答えており、結局右のとおり午後五時二〇分ころに37.2度に発熱したことが認められるところで、同日朝37.2度に発熱したとの証拠は本件において見出せない。)、同日の原告隼人への授乳の状況は、午前二時ころに一〇シーシーくらい、同五時ころに二〇シーシーくらい、同九時ころに五シーシーくらい、同一一時ころから正午ころにかけ五シーシーくらい、午後一時ころから同二時ころにかけ五シーシーくらいで、午前九時ころからほ乳力が落ちたところから、午後三時三〇分ころ右記のとおり鼻から管を通してミルクを補給する鼻腔栄養の措置がとられ、三〇シーシーくらい授乳されたが、口からミルクを吐き出したこと、同四時一五分ころには同様鼻から一〇シーシーくらい授乳されたこと、同日夜の被告菅又の回診の際の診断により、原告隼人の可視黄だんにつき「()一とカルテに記入されたこと、これらの事実が認められ<る。>
18 昭和五二年四月二一日午前三時五五分ころ原告隼人が37.8度に発熱したこと、同日早朝被告菅又が原告隼人を診察し、ブドウ糖、タチオン、セポラン、デキサシエロゾンB、ユベラの各注射を同児になしたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、四月二一日午前四時ころ、原告恵子らの申出により被告病院看護婦の手で原告隼人に浣腸がなされたこと、さらに看護婦の指示により同児の頭部を永で冷やしたこと、同日午前四時三〇分ころには38.2度に発熱したこと、右記のとおり早朝被告菅又が原告隼人を診察したのは午前四時過ぎで、この診察の結果右の各注射がなされたこと、これらの事実が認められ<る。>
19 右同日、原告隼人が保育器内で黒いものを吐いていたこと及び新生児総ビ値検査の結果24.1mg/dlとなつていたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、原告隼人の熱は右二一日午前五時五五分ころには36.6度に下がつたこと、そのころも授乳については鼻腔栄養が続いていたこと、原告隼人の体温が、午前八時ころには37.5度、同九時ころには37.9度とまた上がつたこと、そのころの原告隼人の容態は、眼の黒目が動かず一点をじつと見詰めたような状態で、「ふうん、ふうん」とうなるような呼吸状態であつたこと、午前九時ころ栃村婦長が原告隼人の容態を見てのち病室に酸素吸入の器具が運び込まれ酸素吸入がなされたほか、二回くらい気管の吸い取りがなされ、その後新生児総ビ値の検査をするための採血がなされ、午前一〇時ころ、原告隼人は病室から保育器のある部屋に移され、間もなく保育器内に収容されたこと、これらの事実が認められ<る。>
<証拠>によれば、原告隼人に対しては、右保育器の中で光線療法がなされたほかACTH12.5単位の注射がなされたことが認められる。
さらに、前記のとおり保育器の中で原告隼人が黒いものを吐いたほか、<証拠>によれば、右隼人は保育器の中で身体を後ろに反り返すような状態であつたことが認められ<る。>
20 昭和五二年四月二一日の昼ころにようやく原告隼人の独協医科大学病院への転院の措置がとられたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、前記のとおり総ビ値の検査結果が24.1mg/dlであつたこと、ACTHの注射や光線療法で原告隼人の容態に好転が見られなかつたことから、被告菅又において交換輸血をするための転院先として、まず国立栃木療養所に問合わせをしたが、同所ではできないとの回答で、次に独協医科大学病院に連絡をしたところ、できるとの回答を受け、被告菅又から原告恵子らに右大学病院への転院の話をしたうえで、同原告らの承諾を得て右記のとおり独協医大病院への転院がなされたことが認められ<る。>
三独協医科大学への転院後の原告隼人の状態等について
<証拠>によれば、原告隼人は、昭和五二年四月二一日午後一時に独協医科大学病院に入院し、入院時の主要所見は、①強度の黄だんが認められ、②活気が乏しく、泣声も弱い、③左眼が閉じず、顔のほりが浅く、左顔面神経マヒがある、④右側頭部の骨に軽度の陥没があり、右に頭血腫がある、大泉門は平らで、縫合は広くない、⑤吸いつきがない、⑥胸部呼吸音良く、ラ音なし、⑦腹部は平たんでやわらかい、⑧モロー反射が消失し、後弓反張があつて時々けいれんを起こす、といつた状態であつたこと、入院後のビリルビン値検査の結果、総ビ値は33.3mg/dl、間接ビリルビン値は30.6mg/dlであつたこと、もし核黄だんであれば、この時点で交換輸血をしても後遺症が残ることは分かつていたが、原告隼人の生命を救うため交換輸血を行うことを田中医師において決断したこと、右同日交換輸血が施行され、原告隼人は生命をとりとめ、その後同年六月三日に独協医科大学病院を退院したこと、退院より先、交換輸血施行後もけいれんが持続し、同年四月二四日ころよりけいれんが消失したこと、その後も落陽現象があり、後弓反張姿勢が持続していたが、ミルクを飲めるようになり、体重増加もよいので右の退院に至つたこと、これらの事実が認められ<る。>
四原告隼人の現状及び将来の見込みについて
<証拠>によれば、
1 原告隼人の現症状は痙性型四肢型脳性小児マヒであること
2 心理検査上発達指数は5であり、この数字は運動の面で大きく遅れているため拡大されて悪い指数となつており、身体統制については首のすわりも不完全であり、随意運動の障害が顕著で自分の意志によつて身体を統制、移動させることは不可能な段階にあること
3 食事などのほか、生活行動全般にわたりきわめて受動的で、親の全面的介助を必要とすること
4 情緒、社会性、言語の理解面については、両親、祖父母等の身近な人物と他人との区別がつく(差別的反応が示される)し、賞賛や禁止の言葉に対応した表情が示され、幼い子供の姿を見たり、声を聞くと喜ぶなどの反応があること
5 脳波は正常と異常の境界であること
6 右の如き診断結果から、同児の障害は労働基準法施行規則別表第二の身体障害者等級表上肢体不自由児の一級に該当し、現に等級一級の身体障害者手帳の交付を神奈川県から受けていること
7 今後、一人で歩いたり、介護を全く必要としない状態に進展することは著しく困難で、寝たきりの生活が続く可能性が大きいと考えられること
これらの事実が認められ<る。>
第三新生児高ビリルビン血症及び核黄だんについて
一新生児高ビリルビン血症について
<証拠>によれば、新生児高ビリルビン血症に関し、①その定義は、血清ビリルビン値が一五mg/dl以上に達するもので新生児溶血性疾患、胆道閉塞、全身感染など原因の明らかなものを除いた新生児期の高度黄だんをいうとされ、②その原因は、主として肝のビリルビン抱合排泄機能の未熟度が高いためと一括して考えられているが、最近個々の酵素欠損や低下が明らかになりつつあり、またこのビリルビン抱合排泄に関与する酵素の活性を低下させる薬物または溶血を促進する薬物も一因子となりうると考えられ、③その症状は、生後四〜七日ころに高度黄だんを認めるほか特別の症状はないのが普通であるが、血清ビリルビン値が未熟で一八〜二〇mg/dl以上、成熟児で二五mg/dl以上の児の中には一過性に二〜三日間ほ乳力がやや弱まり元気不良となる児がみられるが、これは核黄だんの前駆症状とみてよいこと、④その診断については、血清ビリルビン値が一五mg/dl以上あり、血清学的検査、糞便検査及びそのほかの諸検査で新生児溶血性疾患、全身感染症、胆道閉鎖などを否定できるときは一応本症と診断し、黄だんがさらに高度になるに伴いほ乳力が弱くなつたり元気不良となるときは核黄だん前症、後弓反張、けいれん、嘔吐、眼症状など明らかな中枢神経症状を示すようになつたら、核黄だんと診断するとされていることが認められる。
二核黄だんについて
<証拠>によれば、核黄だんに関し、①その定義は、脳実質特に皮質下諸核の海馬回転・視床または視床下部にビリルビンが沈着する疾患をいうとされ、②その原因は、第一として血清間接ビリルビン値が異常に高まることで、主として新生児高ビリルビン血症や新生児溶血疾患の血清ビリルビン値が一定限界以上になると発症し、第二の原因は脳血液関門の透過性が高まることで、これは新生児の未熟児性が高度なほど充進しており、また低酸素血症のときもその程度に応じて透過性が高まつて核黄だんを起こしやすくなり、このように核黄だんを生ずる血清ビリルビン値の限界は児の状態によつても違うが、大体成熟児では二五〜三〇mg/dlでは約二〇パーセント、三〇mg/dl以上では約五〇パーセントの割合で核黄だんを生じ、未熟児ではその未熟度に応じそれよりも五〜一〇mg/dlくらいひくいところでほぼ同率に核黄だんを生ずるとされ、③その症状は、高度黄だんと中枢神経症状が必発し、しばしば三八〜三九度台の発熱を伴い、中枢神経症状は軽症では元気不良・ほ乳力不良・嘔吐・呼吸不整などであるが、重症になるとけいれん・眼球運動異常(特に落陽現象)、後弓反張などはつきりした脳障害症状が出現するとされていることが認められる。
<証拠>によれば、核黄だんの症状の推移についてはプラハの見解が一般に用いられ、これによれば、
第一期 筋緊張低下、自発運動減少、嗜眼、吸啜反射減弱
第二期 痙性症状(四肢硬直、後弓反張)、発熱(三八度以下)、落陽現象
第三期 痙性症状消退期(無症状期)
第四期 恒久的錐体外路症状、アテトーゼ、凝視マヒ、歯エナメル質異形成
とされていることが認められる。
第四原告隼人の脳性マヒの原因について
一<証拠>を併せ考慮すれば、原告隼人の現症状である前記理由第二の脳性小児マヒは、同児における新生児高ビリルビン血症が核黄だんに進行して、核黄だんの後遺症として右記の小児マヒの現症状を遺すに至つたものと認められる。
二被告らは、原告隼人の脳性マヒの原因は、分娩時の低酸素状態、体質的欠陥を基調とした特発性高ビリルビン血症である旨主張するので、この点につき検討する。
1 右分娩時の低酸素状態に関し、原告隼人が出生児仮死第一度の状況にあつたと認めるに足りる証拠がないことは、前記理由第二の二の4のとおりである。
仮に、仮死第一度の状態が存在したとしても、被告菅又本人尋問の結果中で、同人自身、仮死の程度は極く軽いものであつた旨供述しており、<証拠>によれば、右のような仮死あるいは低酸素状態のみで、原告隼人の脳性マヒを発生させたとは考え難いことが認められる。
2 鑑定の結果及び証人の証言中では、原告隼人の中枢神経症状ととらえられるものの原因として、その可能性が高いのは頭蓋内出血である旨指摘されているが、<証拠>によれば、昭和五二年四月二一日独協医科大学病院入院直後のコンピューターを使用した頭部の断層撮影(C・Tスキャン)による診断結果によれば、硬膜下血腫の可能性は否定され、脳室の拡大も認められなかつたことなどから、原告隼人の独協医科大学病院における主治医であつた訴外田中医師は、当時の同児の症状につき鑑別の必要な疾患として、頭蓋内出血のほか、感染、溶血性の疾患などについても必要な検査をなし、検討した結果、当時の右隼人の症状はすべて核黄だんで説明がつくかも知れないとの結論に至つたことが認められるところである。
第五核黄だんの予防、新生児高ビリルビン血症の治療及び交換輸血の適応基準について
一<証拠>によれば、昭和五〇年七月一〇日第一版発行の「新生児疾患、早期発見と緊急処置」と題する文献においては、従来核黄だんの初期症状を参考にして黄だんを判定するような傾向があつたが、むしろ症状が出現すればたとえ初期症状でも非常に危険であり、嗜眠状、ほ乳力低下、吸啜力減弱、その他自発運動減弱などいわゆる筋緊張低下の傾向がある場合は、核黄だんの初期症状である点に注意しなければならないとされ、黄だんの子供が①低体温、②仮死あるいは低酸素状態、③血清ビリルビン値一〇mg/dl以上の場合のような条件を一つでも持つている場合は直ちに緊急措置をとる必要があるとされ、さらに、血清ビリルビン値の生理的範囲をどこにするかについては、全く便宜的なものであるが、一応満期産児では一二mg/dl、早産児では一五〜一六mg/dlとしていることが多く、新生児の黄だんについて①生後数日に拘らずビリルビン値が一六mg/dlを越える場合、②黄だんの消たい時期になつてもなお増強する傾向のある場合、③黄だんの原因が不明でしかも増強する傾向がある場合等には緊急措置が必要であるとし、さらに、生後二四時間以後の黄だんに関し、生理的黄だんの限界についてのA・K・ブラウンの見解として、満期産児で血清ビリルビン値が一二mg/dl以上の場合は限界を越えるものとしてさらに検索が必要であるとのことを紹介していることが認められる。
二<証拠>によれば、昭和五二年九月三〇日発行の「保険診療研究5巻7号」においては、血清ビリルビン値一五mg/dl以上を新生児高ビリルビン血症とすること、核黄だんを防ぐためには交換輸血に踏み切る時点の判断を誤らないこと、新生児に交換輸血を行うか否かの判断の目安としては、成熟児では血清ビリルビン値二五mg/dl以上、未熟児では一八〜二〇mg/dlのとき、またこれらの値以下でも核黄だん前駆症状がみられるときとされ、さらに核黄だん治療、あるいは予防の切札は交換輸血であり、光線療法適用の原則は「このまま経過すると交換輸血をしなければならないが、その基準にはまだ達していない段階」での治療法であり、光線療法で外見上ビリルビン値が低下しても核黄だんをおこす危険性は残つている場合もあるので、光線療法で修飾された臨床像、検査成績にまどわされることなく患児の一般状態を観察して、核黄だんの症状の第一期、遅くとも第二期の初めに交換輸血を行うように光線療法の効果を過信せず、その限度を知つて有効に適用したいと指摘され、また、新生児黄だんの種類と特徴に関しては、生理的黄だんは血清ビリルビン値一五mg/dl以下、新生児高ビリルビン血症については同値一五mg/dl以上と記載されていることが認められる。
三<証拠>によれば、昭和四三年三月二〇日第一版発行の「新生児重症黄だんと交換輸血」と題する文献においては、非溶血性重症黄だんにつき、血清ビリルビン値の核黄だん発生に関する危険閾値としては、従来一般的には成熟児では二〇mg/dl、未熟児では一五mg/dlとするのが定説となつているが、著者教室では近年周到な検索結果に基づき、成熟児で核黄だんの初期臨床症状を認めない場合には二五mg/dlとして差支えないとの結論に達したこと、ただし核黄だんの初期臨床症状、ことにプラハのいう第一期症状は特異性に欠けるものであるため、その発見、判定が容易とは限らないので、臨床症状の綿密な観察が不可能な場合には、核黄だん発生危険閾値を二〇mg/dlとして交換輸血の適応とすることも決して「オーバートリートメント」と称するにはあたらないものと考えられること、さらに、異常黄だんを呈する児について、その臨床症状を仔細に観察し、プラハの症状第一期を発見したときは交換輸血の適応とすべきであり、この第一期に交換輸血を履行すれば、後遺症を遺さない完全治癒を遂げさせることが可能であるが、第二期症状にまで進展した以後においては、交換輸血により救命しえても、脳の病変が不可逆性のものとなつており、その後遺症として脳性小児マヒを遺す危険性が濃厚であることのほか、新生児黄だんに対する薬物療法に関しては、薬物療法はすべて根治的療法ではないのであるから、血液型不適合によらない新生児でイクテロメーター値4.0以下、かつ、血清ビリルビン値二〇mg/dl(未熟児では一五mg/dl)以下の場合に限つて施行されるべきものであり、かつ、これらの薬物療法施行中といえども、血清ビリルビン値測定、臨床症状の綿密な観察を怠らず、交換輸血の適応基準に到達した場合には、すみやかに交換輸血にふみきるべきである旨記載されていることが認められる。
四さらに、<証拠>によれば、この「胎児新生児学入門」と題する文献の出版年月日は明らかでないが、その中で、新生児高ビリルビン血症の後障害と予防に関して、本症による核黄だんの予防には全出生児について高度黄だんをスクリーニングして血清ビリルビン値が一五mg/dl以上の児はもれなく把握し、一〇mg/dl以下になるまで連日一〜二回血清ビリルビン値を測り、その間に必要に応じて交換輸血ができる管理体制が必要である旨記載されていることが認められる。
第六被告菅又の過失について
一原告隼人の昭和五二年四月一九日から同月二一日午前までの状況については、前記理由第二の二の15ないし20のとおりであり、その要点を整理すると、原告隼人の新生児総ビ値の被告病院における検査は同月一九日午前と同月二一日午前九時ころから同一〇時ころまでの間二回行われ、前者の結果は一六mg/dlであり、後者の結果は24.1mg/dlであつたこと、同月二〇日には総ビ値の検査は全く行われなかつたこと、同月二〇日午前九時ころから原告隼人のほ乳力が落ち、同日午後三時三〇分ころからは鼻腔栄養の措置がとられたこと、鼻腔栄養の当初同児に嘔吐があつたこと、原告隼人に対する被告菅又の診察の際、可視黄だんにつき、同月一九日には()とカルテに記載され、二〇日夜の診断では()と記載されていること、同日午後五時二〇分ころ原告隼人は37.2度に発熱したこと、これらの事実が掲げられる。
二<証拠>によれば、原告隼人出生当時、被告病院における新生児総ビ値の検査には初生児ビリルビン用の光電比色計が使用され、その操作は比較的簡単で、採血後検査結果が得られるまでおよそ三〇分くらいの所要時間であることが認められる。
三前記理由第二の二の20の事実及び<証拠>を併せ考えれば、昭和五二年四月二一日当時、被告病院においては交換輸血の施行ができなかつた状況にあつたことが認められ、この事実と前記理由第五の事実とを考え併せるとき、被告病院における原告隼人の担当医であつた被告菅又としては、患児への核黄だんによる深刻な後遺症の発生等を避けるためには、交換輸血の可能な他の診療機関への転院措置をも考慮に入れて、原告隼人の症状を見守る必要があつたものと解されるところである。
四前記理由第五のところに<証拠>を併せ考えると、昭和五二年四月当時の医家の一般知見としては、原告隼人の如き満期産の成熟児については、生理的黄だんの限界値は一二mg/dl、高くとも一五mg/dlで、これを超えると新生児高ビリルビン血症を疑うべきであり、交換輸血の適応期ママ準については、二五mg/dlとする見解も見当るが、これにてもこの値以下でも核黄だんの前駆症状がみられるときはそのときに交換輸血にふみきるべきことを掲げ、一般的には二〇mg/dlとするのが定説で、仔細な観察の結果黄だんの初期症状を認めない場合には二五mg/dlとしても差支えないが、この場合、プラハの第一期症状は特異性に欠け、その発見、判定が容易とは限らないので、臨床症状の綿密な観察が不可能な場合には、核黄だん発生危険閾値を二〇mg/dlとすることが一般的であると解されるところである。
なお、出生時の低酸素状態につき仮死第一度では原告隼人の現症状に影響したとは考え難いことは既述のとおりであるが、仮に、低酸素状態があつたとすれば、証人田中吾朗、同坂上正道の各証言によれば、このことが核黄だんへの助長因子として働く可能性があり、右核黄だんへの危険閾値はそれより低くとも核黄だんに進展する危険性が高くなることが認められるところである。
五右一ないし四のところを総合勘案すると、原告隼人は昭和五二年四月一九日午前中に総ビ値が一六mg/dlであつたわけであるから、これより先、同児の担当医としては、同児の容態を注音深く見守り、被告病院において新生児総ビ値の検査は比較的容易に可能であつたわけであるから、同児の容態が快方に向かうと認められない限りは少くとも一日に一回以上の総ビ値検査をなしたうえで、その容態を見守り、前記のとおり総ビ値が二〇mg/dlを越えるような事態を迎えるにあたつては、同児につき交換輸血の措置がとりうるような措置を、転院措置も含めて講ずるべき注意義務があつたと解されるところである。
然るに、被告菅又は、前記のとおり、四月二〇日には、原告隼人において、午前九時ころよりほ乳力が低下し、午後五時二〇分ころには37.2度に発熱し、被告菅又自身、四月一九日の可視黄だん()から翌二〇日夜には()への増強を現認しているのであるから、核黄だん第二期移行後の後遺症が患児に極めて深刻な結果を導きかねないことをも考慮すると、四月一九日午後以降、二〇日における原告隼人の総ビ値の検査は必須であつたものとも解されるところ、この間全く総ビ値の検査はなされなかつたものであり、結果的に四月二一日午前九時ころから一〇時ころの間の総ビ値の検査では24.1mg/dlに至つていたもので、右の事実によれば、原告隼人が核黄だんにより現症として脳性小児マヒに罹患したことについては、被告菅又の右隼人の担当医としての医療上の措置に過失があり、これにより右結果を生じたものといわざるをえないと判断する。
なお、新生児総ビ値が場合によつては短時間に激しく変動する可能性があることについては、右のとおり四月二一日午前九時ころから同一〇時ころの間の総ビ値が24.1mg/dlであつたものが、同日午後一時すぎ独協医科大学病院における同値の検査結果においては前記理由第二の三のとおり33.3mg/dlであつたことからしても、この間に転院措置が介在することを考慮に入れても、充分窺われるところである。
第七被告病院の責任について
被告菅又が被告病院の院長であることは前記理由第一の一の(一)のとおりであり、この事実に弁論の全趣旨を併せ考慮すれば、被告病院は被告菅又の使用者たる立場にあることが認められ、したがつて、被告菅又の不法行為責任については、民法七一五条に基づき、被告病院において使用者責任を負うことになるものと判断される。
第八原告隼人の損害について
一逸失利益
原告隼人が昭和五二年四月一四日生まれであることは前記理由第二の2のとおりであり、<証拠>によれば、同隼人は男子であることが認められ、同児は前示被告菅又の不法行為による脳性マヒ罹患(以下、「本件事故」という。)がなければ将来順調に成長し、高校卒業後は六七歳に達するまで稼働し、収入を得たであろうと確認することができる。原告隼人の現症状及び将来の見込みについては前記理由第二の四のとおりで、同児は労働能力を一〇〇パーセント喪失し、終生これを回復することはほとんど不可能であると認められる。
原告隼人は、昭和五八年度賃金センサス第一巻第一表中の男子労働者産業計高校卒の平均賃金を基礎にしてその得べかりし利益の計算をしているが、右の事実よりすれば、同原告の主張するこの基礎(=別表(一)のとおり)は採用できると判断される。そこで、年五分の中間利息の控除についてはライブニッツ方式を用いるのが相当であるので、これを用いた原告隼人の本件事故の時点における逸失利益の現価総額は、別表(三)記載のとおり金二六九三万〇三九五円となる。
二付添費
1 <証拠>を併せ考慮すると、原告隼人の現症状では、食事排泄入浴等の日常生活の起居動作全般にわたり両親など家人による介助付添を必要としており、このような日常生活全般にわたり他人の介助を要する状態は同児の生涯にわたり継続するものと認められる。
2 <証拠>によれば、昭和五二年度以降の職業的看護補助者の付添料金は、泊込日給額でみた場合、前記事実第二の一の請求原因5の(二)の(2)のとおりであることが認められる。
3 原告隼人は、右2の付添料金に基づき、看護人一日あたり、昭和五二年六月四日から昭和五四年三月三一日までは六〇〇〇円、同年四月一日から昭和五七年三月三一日までは七〇〇〇円、同年四月一日から同児が六八歳になるまで八〇〇〇円を計算の基礎として賠償を求めている。
4 前記のとおり、原告隼人の両親を主とする家人の介助付添が四六時中に及ぶことよりすれば、泊込日給額を基礎とすることは必ずしも不当とはいえまいが、右2の看護補助者賃金基準が当然そこに利潤をも組み入れた労働賃金であるのに対し、原告隼人については両親存命中は両親特に母親が介助付添にあたるものと推認され、両親が原告隼人の存命中最後まで介助できないことが予想されることを考慮に入れても、右の点を考慮すると、右3の金額に基づき計算した合計額の八割をもつて、本件事故による付添費の損害と認めるのが相当と解する。
5 右に基づき付添費を計算すると左記<省略>のとおり金六〇二三万〇三〇〇円となる。
三慰藉料
原告隼人の前記症状、その回復の見込みがほとんどないこと、本件事故の態様や事実の経過等、諸般の事情を考慮すると、同原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては、金一六〇〇万円をもつて相当と認める。
四弁護士費用
金九〇〇万円が相当である。
第九原告豪及び同息子の損害について
一慰藉料
原告豪及び同息子の両名に対する慰藉料としては、各五〇〇万円をもつて相当と認める。
二弁護士費用
被告らに対し賠償を求めうる金額は、各金五〇万円をもつて相当と認められる。
第一〇結論
以上の次第であるから、被告菅又は民法七〇九条に基づく損害賠償として、被告病院は同法七一五条に基づく損害賠償として、各自、原告隼人に対しては、右第八の一ないし四の合計金一億一二一六万〇六九五円及びこの内四の弁護士費用を除く一億〇三一六万〇六九五円に対する被告らの不法行為の日と認められる昭和五二年四月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告豪及び同恵子に対しては、右第九の一、二の合計金五五〇万円及びこの内一の各慰藉料五〇〇万円に対する右不法行為の日と認められる昭和五二年四月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金を、それぞれ支払う義務があることとなる。
よつて、原告隼人、同豪、同恵子の各本訴請求は、それぞれ右判示の限度で理由があるから、これらを認容し、その余の部分はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(谷敏行)
別表(一) 全産業男子労働者(高卒)年間賃金額<省略>
別表(二) (ホフマン係数)うべかりし収入<省略>
別表(三) (ライプニッツ係数)うべかりし収入<省略>